ネパールにある、とある村を訪問しました。
自然豊かで、牛を使って畑を耕しています。食べ物はカボチャのつるなど、新鮮な野菜をたくさん使ったダルバート(=定食)が有名。
夜はホタルが舞い、日本では見慣れないトカゲや虫も・・・
そんな自然豊かなネパールで食文化の視察に行きました。
面積:北海道の1.8倍(14.7万キロ㎡)
人口:2650万人
首都:カトマンズ
宗教:ヒンドゥー教と仏教
言語:ネパール語と各民族による言葉50以上
通貨:ルピー
日本からの飛行時間:乗り継ぎを入れて15時間以上
気候:6月~9月前半が雨季、9月後半~5月が乾季、基本的には暑くても30度くらい
時差:日本より3時間15分遅れ
挨拶は、ナマステといって胸の前に手を合わせる、また食事は右手で手で食べる。
今回のネパール旅のテーマは「食と農業」。ネパールの人々がどのような生活をして、そしてどのようなものを食べているのか・・・
好奇心のみで実際にその様子を見に行きました。旅の道中には様々なトラブルがあったものの、素晴らしく思い出深い旅になりました。
日本の関西国際空港から出発して、中国経由でネパールに渡ります。途中、上海と西都という二つの中国の都市で乗り換えをしました。
確かこの画像は中国・上海か西都の空港です。到着したのが深夜で客引きが多く、街に出ると右も左も分からなくなってしまいそうで、空港の椅子で一晩眠ることにしました。
寝ている途中は、物を盗られないようにカバンを体に巻き付けて寝ました。夜中に何度も怪しい人に勧誘され、拒否を続け、深く眠ることはできませんでした。。。
中国の空港内をぐるぐる迷いながらではありましたが、無事に中国の空港を経て、ネパールの首都カトマンズ行きの飛行機に乗ることができました。しかしながら何度も離着陸を繰り返し、トラブルがあったようで、定刻には到着せず、数時間遅れでネパールに入りました。
ネパールの首都カトマンズにあるトリブバン国際空港に到着しました。預けた荷物を取ろうとするもなかなか見つけられず、四苦八苦。
日本で知り合いになったネパール人と行動するため空港で待ち合わせをしていましたが、ものすごい人で見つけられず、たくさん話しかけられ、意味不明なタクシーに乗せようとしたりしたため、一旦空港を離れました。
それが、あまりよくない行動であると後でわかりました。海外で待ち合わせするときは空港からは出てはいけません!空港内であれば見つけるのは容易ですが、街中となるととてもややこしいです。どこにいるかわかりません。
そんなことがありながら、やっと合流できました。
合流してからは、ボロボロの路線バスを乗り、長距離移動用の大型バスロータリーに行きました。ここから、十数時間かけてネパールの奥地の村まで行きます。
路線バスは扉がボロボロでカトマンズで起きた地震の傷が癒えない街を縫って走っていきました。まだまだ癒えないカトマンズ。地震からかなりの年月が経っているはずですが・・・
真夜中にバスが停まりました。外は雨、全員降りるので降りてみると晩ご飯のため食堂に立ち寄ったことが分かりました。夜中の2時位だったかと思います。ものすごい山を真っ暗闇の中進んできました。
この食事の感想は、、、ビックリするくらい美味しくないのです。。。
そのせいでほとんど残してしまいました。申し訳ありません。
外は暑いはずなのに、強い冷房のおかげで車内は冷凍庫状態。そしてエアコンの水が僕へづっと落ちてきて頭はびしょ濡れ。よく風邪を引かなかったと思います。みなさん、服を何枚も重ね着していました。エアコンの温度調節が壊れていたとのことでした。
すっかり夜も明けて、崖をバスが通っていきます。もうヒヤヒヤしながら見ていました。聞いた話によると、バスが転落する事故も起きて全員が死ぬ事もあるとか・・・
ネパール人曰く「死ぬときは死ぬとき」らしいです。
この日は大雨で土砂崩れが起きているとのことで、あちこち道を迂回していたみたいです。到着時間になっても着かず、すでに15時間以上バスに乗っています。
休憩のため道の駅みたいなところでバスが止まりました。
これはお米を焼いて乾燥させたネパールの食べ物とのこと。
口から水分が奪われる感じと、辛いソースでたくさんは食べられなかったですが、おやつには美味しかったです。
そうこうしているうちに、目的地に近づいてきました。出発して25時間くらいでしょうか。
もうクタクタでした。バスを降り、今度は軽トラックのようなタクシーに乗り換えました。
残念ながら、あまりにすし詰めで写真が撮れなかったのです。走行中、僕は軽トラの荷台の後方へ乗っていましたが、小学生くらいの子供たちがどっからともなく現れて軽トラにつかまってきました。とても逞しい姿でした~
日本では考えられないですね。
無事に目的地の村へ到着しました。インドの国境近くの村です。
各家庭には必ず牛がいます。ここのお父さんは毎朝牛の餌を作り、与えて新鮮なミルクを絞り、そして、糞を畑に運びます。この仕事を毎日日課のようにされていました。
まさに自給自足といったイメージです。
しばらくこのお家にお世話になります。
よろしくお願い致します!
ご近所に散歩に行きました。
ジャックフルーツかドリアンですね。
どちらも似たようなにおいがします。
日本では見ないような木々がたくさん生えています。
牛小屋などから集めた糞や草を混ぜて完全有機の堆肥つくりを行っている家庭もありました。
エコですね~
この辺りは、水田が多く、その水のためにもため池がありました。
もちろん畑にも使うのでしょう。
現地の人に見せて頂いたのですが、真っ黒な蛇がいます。
その蛇に噛まれると「一発で死ぬから気を付けて」といわれました。恐ろしい。
これなんだかわかりますか?
お食事中の方はスルーしてください。
これ、実は家畜の糞尿を貯めて家の中に管を伸ばして、ガスを供給するシステム。つまりバイオガス生成装置。装置といっても、かなり単純な構造みたいです。
いつか、爆発が起きそうな感じ(笑)
でも、なんでも利用してエネルギーを取り出す考え方には感激しました。
本当にエコな村ですね。
これは森の中で栽培もしくは植えられていたスパイスの木の実です。
こちらはグアバ。
まだまだ青くて酸っぱくて食べられなかったです。
これはバナナの木。
こちらの人はこの大きな葉も利用して入れ物などへ活用していました。
ご近所の方はこんな感じで調理をしていました。
こちらは学校とのこと。
日本が昔、JICAとして建ててくれたそうです。
現地の人の多くはここで勉強したのだそうです。今も色々と建設がされていました。
中はこんな感じです。
ここで多くの学びを得ていることでしょう。
鳥を飼っているお家です。
この方はなんでも挑戦するそうで、なんでもやっているとのことでした。
いたるところに、羊がたくさんいました。
もちろん食用ですね。
これはイスラム教の施設だそうです。
ネパールでは、ヒンドゥー教が国民の80%、仏教が10%、イスラム教が5%です。
かなり美しい塗装が施されていました。
移動中、バッファローがよく道を塞いでいました。
ここでは動物もしっかりと働いて人々の助けをしています。
牛で畑を耕す様子。
トラクターも走っている様子がありましたが多くは未だ動物を使っています。
植林の様子。
この辺りは昔はジャングルだったみたいですが、木を伐りすぎて大変なことになっているとか。
これは、泊まらせて頂いた家の日常的な食事です。
とても美味しかったです。ダルバートです。豆のスープと、野菜の炒めたものが入っています。これを混ぜて右手で食べますが、慣れていなのでお母さんが見かねてスプーンをくれました。難しい。
宗教によって違いますが、左は不潔とされていて、皆さん手で器用に右手で食べています。そして必ずラッシーが付いています。どうも見ていると、毎朝お父さんが、絞った新鮮ミルクを残りのラッシーに継ぎ足して作っていました。なんてエコ。
これが、牛の餌を作っている様子。雑草などを刈ったものを大きな葉が付いたカッターで切断していました。毎朝のお父さんの日課です。
道を走っていると、思うことは本当に動物が一緒に働いているということ。
人と動物がこんなに近くで仕事をしています。
日本も昔はそうだったように、世界の農村にいけば人々の毎日の生活の一部になっています。
道端では水分補給が可能です。
これはサトウキビや柑橘を絞ってくれる屋台。
ある日、バイクで川まで連れて行ってもらいました。
川のほとりにある売店で休憩することにしました。
川魚の素揚げが出てきました。
サクサクして、とても美味しく、おつまみのような感じです。
お店の方が薬味を作るため石のまな板で調理していました。
こちらはヤギのお肉ですね。タマネギとの相性も良く、美味しく頂けました。
帰り道。こんな感じの道が続きます。
かつてのジャングルの名残がありますね。
少し雨が降ればこんな感じでビチャビチャです。
聞く話によると道路整備がなかなか進まず、スコールが降ればいつもこんな感じになるみたいです。
この時はバイクで走行不能になりました(笑)
僕が降りて押しましたがヌルヌル。サンダルは壊れてぐちゃぐちゃに。
通行人が助けてくれて、何とか脱出~
これなんだかわかりますか。
これは牛の餌を回収しています。道端に生えている草を回収している少女たち。
途中ガソリンスタンドに寄りました。
ノスタルジックなスタンドですね。
ある日の朝、マンゴーの木にカメレオンみたいなものがいました。
不気味です。
ご近所の方の家では大工さんが鶏小屋を作っておられました。
日本みたいに電気工具がないので、すぐにとはいかないようでした。また木も不揃いが多いこと。
立派な小屋が建つでしょう。
ご近所さんのお宅。
土壁の涼しそうなお家です。
ここには茶色の乳牛がいました。
パパイヤをもいでご馳走してくれました。
さわやかな甘さで美味しかったです。
庭に植えてあった豆たち。
トウモロコシも干していました。
粉にして練って食べるのでしょうか。
トウモロコシが庭の木の上に置かれていました。干しているのでしょうか。
それにしてもどうやって上げたのでしょう。
少し街に出ました。
動物が普通に歩いているので、気を付けてください!
腹ごしらえにお店に寄ってくれました。
この時期の気温は40度近く。そんな中ビールをガバガバ飲んだためビックリするくらい酔っぱらってしまいました。バイクの後ろで抱えた土産物を道路へ落下させてしまい、大切なくくりラムを割ってしまうところでした。
ツボーグビールはあっさりして美味しかったですが。
この日はパーティーをするとのことで、夕方頃ニワトリを買いに行きました。
「好きなの選んで」と言われたので一番美味しそうな顔の鳥を選びました。
もちろん生きています。
鶏が選ばれてから焼かれるまで、見させていただきました。
ショッキングなのでここでは載せませんが、息の根を止めた後、トゲの付いた脱水機のようなもので高速回転させて毛を取っていました。
「食べ物をいただく」ということはこういうことなんですね。
食の原点を改めて感じました。
家に帰ると女性の皆さんが夕食の用意をしていました。
この晩は停電していましたので、真っ暗闇の中の調理です。
ネパールでは、一日に何度も停電します。それも毎日になると皆さん慣れていらっしゃるようで。日本と比べて逞しい!
外に置いた薪ストーブのようなものでスープをコトコト煮込んでおられました。
この辺りから僕が昔よく見ていたウルルン滞在記を思い出していました。
こうしてこの日の宴は終わりました。皆さんありがとうございました。
翌日、「ジャングルに住む親戚の家に連れて行ってあげる」とのことで、ついていきました。到着すると森の中に住んでいました。
トラも出るとか・・・怖い><
こちらではご飯をごちそうになりました。家によってダルバートの味が全然違うのです。そしてラッシーの味も異なります。
本当に家庭料理なんですね。
ここでも、トウモロコシが干してありました。
これはトウモロコシの芯の部分です。捨てるものかと思ったのですが、火の燃料に使うそうです。エコですね。
牛の餌でしょうか。このお宅にも牛がいました。
聞いた話によると牛のミルクが美味しくなる草があるそうです。
ネパールのこの辺りの家は土で出来ているのをよく見かけます。
中に入ると、ビックリするくらい涼しいのです。
日本も木の家といえば、本来は土壁もセットだったのですけどね。もはや忘れ去られて僕と年代が同じ者はほぼ何も知らないみたいです。
帰り道はまたスコールに見舞われてしまいました。バイクなのでビショビショ。
学生さんでしょうか。葉っぱが傘のようですね。
なぜか「トトロ」を思い出してしまったのでした。
道中、選挙活動で混雑していました。
出店に寄って頂いたので、食べてみました。
サクサクした容器に酸っぱいスープとトウモロコシが入っており、何か不思議な味でした。
これは何でしょう。そう、マンゴーです。
こちらのマンゴーは緑!
木から自然に落下したものが食べ頃。こちらの人は皮ごと食べます。
皮はまるで薬のような味です。
でも、自然落下したものだけでは物足りないので、木に登って採っちゃいます。
なんて逞しいのでしょう。
大量のマンゴーがボトボト頭に降ってきます。
大量に収穫しました。
中身はこんな感じでしっかりマンゴーです。
お母さんが畑に行ったので後をついて行きました。
本日の晩ごはんのおかずを収穫!
これはカボチャの新芽の部分です。これがしっかり味が付いていて、ウリの香りがありとても美味しかったです。
ある日の晩、「蛍が飛ぶよ」と聞いて家族の皆さんと、村を散策に出かけました。
村は停電していて灯が全くありません。
しばらく歩くと、なんということでしょう。溝から一斉に見たことのない量の蛍がブンブン飛んでいました。残念ながらカメラでは映らなかったのですが、皆さんのご想像にお任せします。
ちなみにこんなカエルもいました。
こんなカエルもいます。
日本でよく見るトノサマガエルに似ていますね。
今日は、お世話になった家族と村との最後の朝です。
今日の朝も美味しいダルバートを戴きます。自家製のラッシーも戴きます。
このあと、家族と親戚と村と皆さんとみんなで記念撮影をしました。
お母さんとも涙の別れ、友達もできて、なんだか自分の故郷が一つ増えたような気持ち。
日本から突然やってきた日本人を温かく迎えてくださりありがとうございました。
美味しいご飯を感謝します。
お母さん達に覚えたてのネパール語で別れの挨拶をしました。
タパイライベテラクシラギョ(お会いできて嬉しいです。)
フェリベトウラ(また会いましょう。)
デレデレダンネバード(とてもありがとうございます。)
近くの空港までタクシーを手配して頂いて、日本へ帰ります。
帰りは飛行機で、首都のカトマンズまで戻ります。
バスもあるのですが、土砂崩れが起きたみたいで、安全のためと時間の節約のため、飛行機にしました。これが結構高くてビックリ。
飛行機は小さなプロペラ機。揺れがすごくて怖かったです。
しばらく飛行機を乗っていると、見えてきました。
ご存知、あの有名な山脈たち。そう、ヒマラヤ山脈、そしてエベレストです。
エベレストへは、ポカラという町で降りて、登ることができます。僕たちはそれを通ってさらに秘境に行ったわけです。次は是非ポカラで泊まってみたいです。
数時間後、カトマンズに戻ってきました。
ネパールの方のお兄さんがここに住んでいるとのことで、今日はそのアパートに泊めて頂く事になりました。アパートに荷物を置いて、昼食をいただきました。
慣れない環境、少しだけ酔ったような感覚がありました。カトマンズの街を案内してくれるとのことで、早速街へ繰り出しました。
ここで、ネパールの首都カトマンズの説明です。
約100万人が暮らす、この町は標高1330mの盆地にあります。1990年以降の民主化以降、都市化が進み、農村部からもたくさんの人が来ています。しかし旧市街には古い町並みが未だたくさん残り、寺院や独特の建築物を見ることができます。
2015年にはネパールでマグニチュード7・8の地震が起きています。古い建物が崩れているところも未だありますが、街は活気に溢れ、多くの若者が暮らしています。
カトマンズにはツーリストセンターがあります。
ここで、大きなエベレストのポスターなどを無料でもらうことができます。
なにやらお祭り騒ぎ。
なんでしょうか。
美味しそうなご飯がありました。何でしょうか。
こちらはお肉ですね。辛すぎました。
ヤギが売られていました。脳みそを食べるらしいですが、かなりショッキングです。
でも食の原点ですね。日本では加工されてきれいにパックされたものしかないので、元がどんな姿をしていたか、知らないままご飯を食べていますが、動物も野菜もちゃんと元の形があるのです!
古い建物も残っています。
こちらはお土産などをたくさん買える場所です。
建物が倒れそうでした。。。
物を買うときはどんどん値下げ交渉をするそうです。
一緒にネパールの方がいたから良かったですが、日本人だけだと、言い値で買ってしまいそうですね。
食品が売っているマーケットです。
干し魚など、海産系が売っていました。
こちらはスパイス売り場でしょう。
辛そうです。
トマトやキャベツなどがありました。
どこからか輸入してくるのでしょうか。それとも国内産でしょうか。
少し小腹がすいたので、焼トウモロコシを買いました。
日本で食べるトウモロコシと比べてとても硬く、甘みもほぼありません。
知らない方も多いと思いますが、日本でいう昔のモチトウモロコシのような風味と触感でした。
この日は、色々歩いて疲れましたがあまり見ることができないカトマンズの暮らしに触れることができて良かったです。これでネパールともお別れですね。
最後に
この視察旅行では多くのことを学ぶことができました。観光では行くことができない、ネパールの奥地へと進み、そこの人々の生活を肌で感じることができました。日本人が忘れている昔の生活スタイルがそのままに残っていました。かつての日本人も動植物と密接な関わりを持ち、村というものがありそこで生活していました。今では日本の村でもトラクターや機械が発達し、便利になっています。そして全員がある程度平等に暮らしていくことができます。ただそれが「当たり前」と思うのではなく、「凄いこと」と思えば見える景色も少し変わるのかな、と思います。僕がお世話になったお家はおばあちゃんがいて、多くの家族がいて、ただそれだけで幸せという感じでした。アジアで一番貧しいと呼ばれますが、何をもって貧しいと思うのか、本当に貧しいとは何なのか、そこをしっかりと考えて言葉を選んでいきたいと思います。
世界は広い、そして面白いですね。同じ地球でも地域によってもちろん異なる文化があります。文化はそれを取り巻いてきた自然が影響し、そして育まれた文化(暮らしも宗教もすべて)が風土というものを創ってきたのでした。今回は食文化だけでなく、そんなことを感じる旅になったのかな、と思います。
最後までありがとうございました。そして、ご家族の皆さん、村の皆さん、また遊びに行きます。その時までお元気で。
島田 優